廃業と前後して急死の報だったので鈴木さんの人柄を知る人も、僕でさえ自殺を疑ったのは、今思えば死を自分から遠ざけたいがゆえの正常性バイアスに由来するのだろう。死因は入浴中の脳か心臓エラーに起因する溺死だった。なおも死を遠ざけようとする向きは因果を独身に求めようとするが、これも即座に否定される。夫婦で入浴している者のみ鈴木さんに因果を言ったらいい。これは不条理以外の何物でもなく、誰にでも起こりうるアンラッキーを鈴木さんが引き受けてくれたと考えるべきだ。
人生の最後にとんだ貧乏くじを引いた鈴木さんだったが、暮らし向きはそれなりだった。もっといえば仕事をしなくても生活には困らない人だった。文学や落語に耽溺しながら技能を追求することができたので、僕が鈴木さんと知り合った15年前にはすでに孤高の存在になっていた。脊椎カリエスに由来する低身長、5坪もない小さな店、賞状やトロフィーも無造作に置かれていたので予備知識がなければ現代の名工の盾も見落とすだろう。
そんな現代の名工・鈴木義久氏だが黄綬褒章までは手が届かなかったのか、とは業界の身内ですら考えていた。死の半年前にも組合長がなんとかして鈴木さんに黄綬褒章を、ということで県議にも掛け合っていたのだがその中で驚きの事実が判明した。なんと鈴木さん、黄綬褒章を辞退していたらしい。職能協の元職員曰く後にも先にも、少なくとも群馬県では黄綬褒章の辞退は鈴木さんだけだったのでよく覚えているとのことだった。いくら大江健三郎に心酔していたとはいえそこまでとは、あらためて鈴木さんが大好きになった矢先の出来事だった。