没落貴族(上流階級)ものということで谷崎の細雪から太宰治の斜陽を聴くことになった。
同じくパンロー版の斎藤さんの朗読であるから期待したが、この貴族とやらはすぐに太宰の女装だろうなと気づいた。
物語的に貴族である必要もなさそうだし貴族っぽくないし生活描写の解像度が圧倒的に低い。
内面ばかりが語られるがまったくもって不快の一言。恋と革命とか恥ずかしくなる。
最後の結末にしてもありきたりな露悪だが当時の精神的田舎者には革命だったのだろう。
敗戦による虚無感、価値観の崩壊、これ自体が被抑圧者側の心理だから
抑圧側の貴族は憤慨こそすれ革命なぞ、つまりこのような投げやりな行動を取るとは思えない。
世間知らずな事業を興して失敗するのが関の山で、細雪の文芸批評で蓮実が言ったように
内面がないほうが貴族として本物らしく感じる。貴族とは客体であって主体ではないのだ。